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【読書感想文】素顔のアインシュタイン

アインシュタインの科学的数学的業績の羅列と当時の科学史のさわりと、アインシュタインの日常生活の様子や当時の時代背景、情勢なんかを交互に織り交ぜて語っていくスタイル。幼少期のアインシュタインはこんな子で、当時のドイツはこうこうこうで、 学生時代のアインシュタインはこんな子で、当時の科学世界はここまで来ており、大学時代のアインシュタイン、友達との青春、結婚、恒例の特許局の頃、こんな考えを持っていて、科学界に関わっていく様子、デビューしていく様、そして…。非常にライトなタッチで軽快に書かれているのでしつこくなく、ゴチャゴチャしておらずに、専門的用語を除けば変に難しい文にしようとする意図も見られないので、すごく読みやすい。逆に、言葉は悪くなるが、内容的には浅い、ともいえる。アインシュタインの科学的数学的な部分に期待して読み始めれば「ナンダコレ…」とがっかりする、可能性があるかもしれないし、そこには興味のない「アインシュタインの素顔」に期待して読む者には大なり小なりの消化不良感が否めない。。

それでまた特に科学的な語り部分に関して、図や絵がないもんだからこの手の初見さんにとっては、きついだろう。私のようにある程度知っていて、相対性理論、はいはいはい、光電効果、はいはいはい、誘導放出!光増幅!レーザー!はいはいはい、、、有名な思考実験の数々「はいはいはい、それな!あれな!」ってそれな系読解で流し読み進めていけるけど、知らない人はナンノコッチャわからないだろう…。その点で凄く不親切に感じた。絵や図はおろか写真すらも皆無で字字字字字。もうちょっと彩り添えて華やげよ…と。「空間のゆがみ」に関しては有名な「あの絵」を1つ添えるだけで初見さんの理解の幅が格段に違うはずだ。かつての私がそうだったように。

この部分が惜しい。アインシユタインの日常場面集は読みやすくてわかりやすくて色鮮やかに動きが目に見えてくるような楽し気、嬉し気、時には悲し気なパートとして良く出来ているのに、科学的部分に入ると途端にwiki的レベルの機械的説明文に成り下がってしまっている。「黒体放射とはこういうことで、例えばこうこうで…とまあそういった説明は無しにして」いやいやいや!説明しろよ!…みたいな。なになかったことにしとんねん!?…みたいな、めんどくさいのか?めんどくなっちゃったのか?…みたいな、あとがき部分で訳者じゃなくて本家の作者自身が「そこまで科学について詳しくない私が…」とか言っちゃってるからどうしてもそうなってしまうものなのか…。この辺の不親切さ、粗末さ、浅さが気になった。今はネット上でいくらでも調べて、視覚面で伝えてくれる素材類がゴロゴロしているからして「どういうことだろう?」と気になれば自分で調べて知ることなどいくらでもできるしそうやって高めていく労力も多分に必要だろう、ただ、この本に期待するという点で、不親切、雑、浅い、と。

 

それでもこの本の良いところは「アインシュタインの日常的側面の切り取り場面」にあること。相対性理論を学ぶための本ではないし科学雑誌の類でもない。

アンチアインシュタイン、アンチ相対性理論ナチスドイツの台頭、ヒトラーに目を付けられた危機的状況のアインシュタイン、二度の大戦の最中にいた天才、最初の奥さんミレーヴァとの関係、アカデミー賞を取った暁には離婚手当として「その賞金を全額やるから、離婚に同意してくれ!」…そんなアインシュタインは…イヤだ。。。…などなど。

ライトなタッチだが逆にそれが読みやすく、海外本恒例の「アルファベット的カタカナネーム」の羅列も極力抑えられているので、躓くことも無い。もちろん低学年向け的優しい本ということでもない、しっかり書かれていて、だからこの点が非常に良し。 

「かなり高額な小切手を、友人に注意されるまで、長らく『しおり』として使っていたアインシュタイン(お金に関して無頓着な天才あるある。)

こーゆーちょっとした小話の数々は、私みたいな天才大好きっ娘。からすると心躍るエピソードで「アインシュタイン、エエわぁ~」って、楽しくなってしまうもので。(こーゆー話をもっとたくさん散りばめてほしかったなぁ…という意味で、個人的消化不良感があるわけだ。「チャールズ・チャップリン」との絡みも、たった1行十数文字だけで終わっていて、もう少しエピソードないのかなぁ…とか。アインシュタインのユーモアあふれる発言のそれそのものを紹介して欲しいところ「アインシュタインはユーモアのある人物で」って、そこ止まりなところとか。もっと抉り出せよ!、、、と。)

 

また、アインシュタインが「平和主義者」である点が強調されて描かれていたのも良かったよね。私くらい?最近の若者レベルであればきっと、小学校で、アインシュタインについて触れる機会に「原子爆弾を発明した人、のように言われることもありますが、それは違って、こうこうこうで」って、そこまで込みで網羅して教えてくれるし、「日本に原爆落とされた時、アインシユタイン(やキュリー夫人)は愕然として…悲しんだ。」という話を幼少期のレベルでどこかで聞いたことがあるほどだから、だからこそ逆に、「アンチ勢の攻撃」箇所で、ああ、なかなかにすさまじかったのだなぁ…と、逆に、そこを知る機会となった。

日本は言うても好意的だし、そもそもアインシュタインに敵対する理由も無ければ拒否する理由もない、「アインシュタインってこんな人やねんで!」で真実のみをしっかり楽し気に(たぶん)伝え続けているはずだから、他の国々、彼の祖国、科学界のとげとげしさ痛々しさは新鮮だった。

その新鮮さと相まってこの本を読んでいると何かこう「相対性理論」及び「アインシュタイン」が、ショボい、ヘボい、そうたいしたことのないような人物、業績のように感じてしまう。当時実際そうだったのか…いやいやいや、そんなわけないよね?…と。

この本の中でも「世界中の多くの人々がアインシュタイン相対性理論を絶賛し称賛していた!」「その一方で、わずかながらにも、そーゆー悪く言う人たちもいた」と、きちんと書かれてはいるんだけど、特に後半になるにつれて悪者勢が幅を利かせてくるもんだから、また「その後の」アインシュタインの統一場理論の研究が花開かないさまと合わせて「アインシユタインって実は…一発屋?」みたいな、そーゆー印象を与えてくる。

作者が意図的に狙ったのであれ私の読解力に問題があるのであれ、それが真に「素顔のアインシュタイン」であれ、奇跡の年から相対性理論構築、結婚と離婚、二度の大戦と原爆投下、量子論、喜怒哀楽緩急に富んでライトに網羅した読みやすいアインシュタインの伝記的お話でした。

だからそうなると科学的・数学的パートは、個人的には無くても良かったかな~とも思ったよ。(それを入れ込むことでボリュームと、構成面における様々な思惑も理解できるけどね…。)

 

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春は忙しく読書時間も割けないのでなるべく薄い本、そしてその色(薄茶)が妙に図書館の本棚と春色と合致して、また借りた時ランチタイム最中のお昼、図書館の窓から差し込む日差しにその薄茶色が強調されて浮かび上がり(実際、図書館は陽が当たらないようになっています。。)「コレ借りよう」と。